2010年10月30日
幸運な一日
最後の宮大工と云われた「西岡常一棟梁の仕事を巡る」と題して奈良の薬師寺、法隆寺、法輪寺を巡る見学会が催されました。(主催:竹中大工道具館)
日本全国から180名を超える応募がありましたが、幸運にも抽選で選ばれ参加することが出来ました。
当日は、「西岡常一棟梁」の唯一の内弟子として有名な「小川三夫棟梁」(いかるが工舎前舎主)に案内していただき、棟梁と弟子の建設当時の逸話や裏話なども交えての見学会となりました。
朝から生憎の空模様でしたが、集合場所に着くと小川棟梁が待っておられて、周りの目も気にせず以前お会いした時の事、西岡棟梁にお会いした事などをお話させていただきました。

1971年 起工式 1976年 落慶
最初に薬師寺を見学しました。1971年から再建された「西塔」を、実際の建築に携わられた小川棟梁(当時は副棟梁)に案内して頂き、参加者全員が目を輝かせながらお話しに聞き入っていました。

1977年 起工式 1981年 落慶
特別に許可された西塔に入り「芯柱の構造」「天井板の模様」など宗教的な意義のある建物であることなどの説明をして頂きました。
小川棟梁のお話の中で印象に残った言葉が、「宮大工と呼ばれる方は全国にたくさんおられるが、古代人の技と魂を持った人は西岡常一棟梁だけ、だから最後の宮大工と云われている」と熱のこもった話を聞くことが出来ました。

天平2年(730年)建立 1,200年以上前に建てられたものです。
お昼休みには、幸運にも小川棟梁と二人きりになる事が出来、プライベートなお話をさせて頂いたりツーショット写真を撮って頂いたりすることが出来ました。本当に穏やかで優しい人柄の良さを実感しました。

西岡常一棟梁の残された再建時の貴重な資料
法隆寺iセンターでは、ガラスケースの中の展示品を小川棟梁の計らいで特別に見せて頂くことが出来、またまた幸運な出来事でした。

西岡常一棟梁の使用されていた「やり鉋」手にされているのが小川棟梁で、近くにいた数名が実際に触らせて頂くことが出来ました。
その後、法輪寺へ移動し小川棟梁が始めて任された三重の塔の前で、参加者全員で記念撮影(しっかりと小川棟梁の横をキープ)をし帰路につきました。
雨天の中、親切丁寧に案内して頂きました小川棟梁(竹中大工道具館関係者様)、大変貴重なそして幸運な一日をありがとうございました。
上田産業(株)一級建築士事務所
日本全国から180名を超える応募がありましたが、幸運にも抽選で選ばれ参加することが出来ました。
当日は、「西岡常一棟梁」の唯一の内弟子として有名な「小川三夫棟梁」(いかるが工舎前舎主)に案内していただき、棟梁と弟子の建設当時の逸話や裏話なども交えての見学会となりました。
朝から生憎の空模様でしたが、集合場所に着くと小川棟梁が待っておられて、周りの目も気にせず以前お会いした時の事、西岡棟梁にお会いした事などをお話させていただきました。

1971年 起工式 1976年 落慶
最初に薬師寺を見学しました。1971年から再建された「西塔」を、実際の建築に携わられた小川棟梁(当時は副棟梁)に案内して頂き、参加者全員が目を輝かせながらお話しに聞き入っていました。

1977年 起工式 1981年 落慶
特別に許可された西塔に入り「芯柱の構造」「天井板の模様」など宗教的な意義のある建物であることなどの説明をして頂きました。
小川棟梁のお話の中で印象に残った言葉が、「宮大工と呼ばれる方は全国にたくさんおられるが、古代人の技と魂を持った人は西岡常一棟梁だけ、だから最後の宮大工と云われている」と熱のこもった話を聞くことが出来ました。

天平2年(730年)建立 1,200年以上前に建てられたものです。
お昼休みには、幸運にも小川棟梁と二人きりになる事が出来、プライベートなお話をさせて頂いたりツーショット写真を撮って頂いたりすることが出来ました。本当に穏やかで優しい人柄の良さを実感しました。

西岡常一棟梁の残された再建時の貴重な資料
法隆寺iセンターでは、ガラスケースの中の展示品を小川棟梁の計らいで特別に見せて頂くことが出来、またまた幸運な出来事でした。

西岡常一棟梁の使用されていた「やり鉋」手にされているのが小川棟梁で、近くにいた数名が実際に触らせて頂くことが出来ました。
その後、法輪寺へ移動し小川棟梁が始めて任された三重の塔の前で、参加者全員で記念撮影(しっかりと小川棟梁の横をキープ)をし帰路につきました。
雨天の中、親切丁寧に案内して頂きました小川棟梁(竹中大工道具館関係者様)、大変貴重なそして幸運な一日をありがとうございました。
上田産業(株)一級建築士事務所
Posted by oto at
13:39
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